2023/01/22 新刊「あれからとこれから(🍋&🍊)」に収録。
本編後、レモンがタンジェリンを失って尚生き続けるにあたってこうであってほしいという願望と祈りが強く出ているお話になっています。
収録内容全編公開。
新刊にはこの作品含めて小説7本と扉絵等のイラストが入っています。

BOOTH SHOPページ


「あん? ジャムる心配は無いんだが、手入れは別だろ?」

タンジェリンはS&Wのリボルバーを愛用している。

仕事で破損することもあるそれ──たしか今のは二代目だったはず──を取り出して磨きはじめた。ガンオイルを使って銃身やシリンダー、銃の隅々を丁寧に布で拭いていく。仕事中は調達した別の道具を使用したり、素手で殴ることの多いタンジェリンが実際にこのリボルバーを仕事で使うことは少ない。この銃磨きは仕事前夜の儀式の様に習慣になっているものだった。

窃盗癖で盗った物はそれ自体に関心があるわけではないためすぐに捨て、普段の生活でも仕事でも物を壊すことに躊躇いが無い姿と、銃やメリケンサックなど本人がこれと決めたごく僅かなものはとことん大事にする姿の格差が面白く、グラスを傾けながら銃を磨くタンジェリンを眺めるのが俺の仕事前夜の儀式の様に習慣になっていた。

 あの白い死神の息子と身代金奪還の仕事の前夜もそうだった。東京のまあまあのランクのホテルの一室で、いつもの様に磨いた愛銃に部屋の照明を当てて、艶を満足そうに笑って見つめるその横顔を眺めていたのだ。だというのに、

タンジェリンが死んだ

女の子に銃を向けてて、その子に助けを求められたからもみ合いになった──ヨハネスの野郎に言われた車両へ息を切らして向かった。車両の自動ドアが開いた時目に飛び込んできた赤が脳裏に焼き付いている。朝日が差し込む車両の床にひろがる血に、溺れる様に倒れている兄弟に眩暈がした。嘘だろ、お前、と口から漏れ出る自分の声すらどこか遠くから聞こえる様だった。

よろよろと近寄り、血溜まりに倒れている身体を抱き起こして壁にもたれかけさせた時の、あいつが流した血の…身体の冷たさを今も覚えている。朝日に照らされ眠っている様なその頬に手を当て、ゆすってもその瞼は開くことがない。タンジェリンは俺が生きていることを知らずに逝ってしまった。

いつもはさして暴れる事のない感情が体の中で暴れまわっている。

俺の兄弟で相棒で半身といっても過言ではなく、最高な双子の片割れ。そして何よりお前はトーマスだ。お前は俺にとってのトーマスなんだ。本人に伝えることはできなかったが、最後に贈らせてくれ。冷たい手を包んで握る、瞼を閉じるとタンジェリンと過ごした日々が溢れてきて堪えきれずに叫んだ。

あいつはディーゼルを殺り損ねたことをとても悔いているはずだ。あの女を殺さなければいけない。なんとしても見つけなければ。

タンジェリンが俺を送り出すためにかけてくれたペンダントだけでも十分だったが、形見にあいつが大事にしていたものの一部を連れていかせてもらうことにした。全部持って行きたいくらいだったが、向こうへ持っていくのが俺のシールだけではかわいそうになってしまったのだから仕方がない。

メリケンサックと愛用のリボルバーを連れて行くことにし、他のアクセサリーはタンジェリンに身に着けさせたままにした。誰だよ、リボルバーをゴミ箱に入れやがったクソは。どうせヨハネスの野郎だろうが。

動かない相棒の髪をなでつけ、襟を少し直す。じゃあな兄弟。ほんと、なんでこんな事になっちまったんだろうな。お前にさよならを言うことになるなんて…。

あの大惨事から、メリケンサックと愛用のリボルバーを無事連れて帰ることに成功したことは、生き残ってしまったことと同じくらい奇跡だと思っている。トラックに乗って京都へ向かった先で。偶然あのファッキンディーゼル女を見つけて轢き飛ばしてやった事も奇跡といっていいだろう。見たかタンジェリン! 思わず助手席に声をかけてしまって涙があふれた。

あのファッキンディーゼル女を轢き飛ばした後、興奮で加速した勢いのまま走り続けたトラックは十字路を曲がり切れずに住宅の塀に激突して止まった。一応直前にブレーキは踏んでいたしエアバックのお陰もあって生きてはいたが、衝撃で動けない上に腹の傷からの出血のせいで意識が朦朧としていた。車内でうめいていると近くで口論が聞こえ、その後身体を無理やり動かされたことまでは覚えている。

次に起きた時は病院だった。隣には木村もいる。聞けば木村の親父──エルダー──がトラックの中で死にかけている俺を見つけると、助けると言い出し木村は嫌々手伝わされたんだそうだ。あの爺さん押しが強いからな。

ここはそっち系がかかっても大丈夫な病院らしい。俺の持ち物は? と問えばベッドの横を木村が指さす。ベッド横の棚にはペンダントにリボルバーにメリケンサックが静かに並んで置かれている。ちゃんと連れてこれた。安堵とともにいっそ死ねたらもっと良かったのにという考えも一緒に浮かんでいた。

タンジェリンを失った、その傷は大きい。生きてきた時間のほとんどを一緒に過ごした存在がぽっかり居なくなってしまったのだから。あの時の激情は、失ったことへの怒りは、あのファッキンディーゼル女を轢き飛ばした時に霧散した。残ったのは悲嘆と喪失感、そして虚しさ。しかし複雑なもので、仕事のプレッシャーで食えなくなったり眠れなくなったりするようなあいつほど繊細でない俺は、悲嘆に暮れることはあっても腹が減れば何か口に放り込み、眠くなればそのまま適当に眠り、流石に病院食な上に食う量が減って少しばかり身体がすっきりしたが、その程度。

食ってクソしてなんだかんだ生きていけてしまっていた。

刻々とあいつとの距離が開いていくように感じるのに。こっちが時間を止めて欲しくても、勝手に日は登って沈むし時計の針は進み続ける。

ある日、木村の見舞いに来たエルダーに「怪我が治ったらうちでもう少し休んでいったらどうか」と声をかけられたが、丁寧にお断りさせてもらった。隣のベッドにいた木村もびっくりしていたし、まあ俺も日本から離れて落ち着いてタンジェリンと今後について考える時間が欲しいと思っていたから。

仕事柄死に別れることは想定の範囲内だった。それはあいつもだったろう。

だからこそ俺もあいつのことを心配していたし、あいつにはいつも防弾チョッキだの何だのと心配されたことを昨日のように思い出す。

だが一人で生きていけるとは思っていなかった。

息をするのと同じくらい二人でいるのが当たり前だったっていうのに、離れず生きてきた片割れを引き千切られて連れてかれたっていうのに、なんだってんだクソッタレ。俺は生きていけちまうのかよ。

退院して本国に帰り、日本に旅立つ前に拠点にしていた部屋に戻ってきた。

多くはないが二人分の、それぞれの私物が転がっている部屋に入り、玄関のドアに鍵をした時、もうあいつはどこにもいないんだと静かすぎる部屋を眺めてから思わず顔を覆って叫んだ。

帰りがおせぇと文句を言われることもなく、仕事を無事終えて二人五体満足で帰宅できたことをお互いに労うハグをすることもない。二人で過ごしてきた日々が鮮明な色をもってどっと押し寄せてくる。その中で、キレて暴れて笑っているタンジェリンはもう居ない。

今更だがエルダーの提案に乗っておいた方が良かったかもしれない。

この光景は正直キツかった。

辛すぎて死ぬ選択しかできないくらい、世界も思考も視野も真っ暗になってくれればと願うのに、腹も減るし眠くもなる身体は願いとは関係なく生き続けようとする。味のしない飯を食べ、食うものが無ければ買いに出掛けるし、隣の空いたベッドを眺めながら冷たいベッドに横になって眠る。汚れた服が溜まればランドリーに行くし、ゴミが溜まればゴミ出しをする、なんてことのない日常。

なんで生きることができてるんだと問い続けながら日々は流れる。

味のしない飯に酔えない酒、トーマスはこんな声だったか?

こんなに色のなくなった世界なのに、あいつは居ないのに、

息して生きていける自分はおかしいんじゃないか?

あいつのリボルバーを片手に、毎夜ソファーに座って頭を抱える日々を過ごす。何度も眉間やあごの下に銃口を向けるものの、どうしてもトリガーを引く気にはなれなかった。すまないタンジェリン。眠りに落ちる前には必ずペンダントに懺悔のキスをするのが習慣になった。

あいつは天国なんかには行けねぇだろうから、きっと今は地獄に居るんだろう。

……どう思ってんだろうな。

あの列車の中で俺が寝てるのを死んでると勘違いしたあいつは、俺に大事にしていたペンダントをかけたあいつは、自分の銃で俺が撃たれたのだと気付いただろうあいつは、そのまま俺が本当は生きていることを知らないまま逝ったあいつは、俺が今生きていることを喜んでいるだろうか?

自分を追いかけてこない事を怒っているだろうか、いつもの癇癪をおこしてそこら中壊しているだろうか? メリケンサックは俺が回収してるから多分素手で暴れまくってるんだろう……そういやあいつは足癖も悪かった。止められる奴は地獄にいるのか? ボコボコにされてる悪魔かなんかを想像してみるとそれは不憫なもんだった。

……わからなくなってきた。いつも一緒にいたのに。

お互いを補うように、隣にいる事が当たり前で、戻ることのできない別れは初めてだった。タンジェリンは自ら死んでそっちに行こうとする俺をどう思うだろうか、喜ぶだろうか、二人のときに見せるあの無邪気な柔らかい笑顔で迎えてくれるだろうか、それともふざけんなとぶん殴られるだろうか、再会に泣くだろうか、俺は後を追いたいのか? そもそも死んだところで会える保障なんてないじゃないかと冷静な自分が常に頭の片隅にいる。天国も地獄もあるのか? あいつと違って神様なんて信じてないくせに、死んだ奴はそこで待ってるなんて都合のいいことだけ信じてるのか?

俺が世界で信じていたのはあいつだけだったのに?

タンジェリンのリボルバーを取り出す。

最後に並んで肩を並べた時、ゴミ箱から見つけた愛用のリボルバー。

毎夜取り出して触ってはいるが仕事で使う気にはなれず、しかしこのまま錆びさせる事だけは避けたかった俺は、翌日懇意にしているガンショップにメンテナンスの仕方を教わりに行った。

「ああ、あのよく吠える口の悪いのがねぇ寂しくなるもんだ。……こいつ、手厚く愛されてたんだな」

動作確認をしてリボルバーを眺めて目を細める店主がこぼした言葉がささる。そりゃそうだ、あいつが大事にしていた数少ないものの一つだったんだから。

「大事にしまっておいてやるのもいいが、こいつは使われてナンボだろ。使ってやらないのか? 弾買って行くっていうなら使い古しだがこいつ用のホルスターおまけしてやるぞ?」

店主に言われるがまま弾とホルスターとメンテナンス道具一式を買い、部屋に戻ってきた。タンジェリンがいつも愛銃の掃除のときに使っていた窓際の小さなテーブルに荷物を置き、椅子に腰かける。適当な布を用意して、ガンオイルで磨く。銃の溝からうっすらあの時の血だろう汚れが布について深いため息が出た。磨くと銃身やフレームが鈍く艶を持つ。部屋の照明でその艶を確認しながら、いつも磨いた後に満足そうに笑っていたあいつの顔を思いだした。

「……お前はあいつの一部だったんだな」

なんだかすっと体が軽くなった気がして、リボルバーをテーブルに置くと、随分久しぶりにスマートフォンで電話をかけた。相手は双子に仕事を紹介してくれていた仲介屋だ。

「ああ、久しぶり──生きてて悪かったな。〝双子〟の仕事再開だ。一人なのに双子続けるのかって? 別にお前が気にすることじゃないだろ。流石に二人分働くのは難し─……まあそんな感じだ。やっぱアンタ、あいつが信頼していただけはあるな。ああ、連絡待ってる」

その日俺は、ペンダントに懺悔ではなくおやすみのキスをして眠った。

数日後、仲介屋から仕事の連絡が入り、それを二つ返事で受けることにした。内容は荷物の輸送。妨害は実力行使で突破せよ。手段は選ばないが、何かあっても助けを送ることはない。わかりやすくて助かる。

先日仕立て屋から受け取って来たばかりのスーツを着て、普段はあまり使うことのなかった姿見の前に立つ。タンジェリンの様なブランド物ではないが、オーダーメイドで仕立ててもらったスーツは窮屈さを感じさせない。短く切った髪もまあまあか。……そろそろでなければいけない時間だ。

実力行使用の武器は足元の鞄に詰めてある。あとは──

「ごめんなルシール、あいつ嫉妬深いからこっちで頼む」

こちらに戻ってすぐ新調した護身用のルシールには腰の後ろに移動してもらい、ショルダーホルスターにはあのリボルバーが収まっている。パンツの後ろポケットを叩いてメリケンサックがちゃんと収まっていることを確認した。使う気はないが念のため連れて行くだけだ。ペンダントにキスを落とし、上着を広げてそこに収まるタンジェリンを確認する。

「行くか、タンジェリン」

クソみたいな色のない世界でも、お前とならまだ生きていけそうだ。

 
END

 

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