◆ sideレモン
普段特に買うような物ではないそれを何故買おうと思ったのか、前の仕事の報酬が予定より多く貰えたからとか、パッケージの果実が兄弟を思い起こさせたからとか、店内でスタッフに渡されたテスターの香りが時々あいつが付ける香水の香りに似ていたからとか、まあ本当に気まぐれだった。
明日の仕事の段取りを確認し、お互いシャワーも浴び終わって後は寝るだけという状況で、昼間に買ったそれを思い出し、寝室の窓際で椅子に座って煙草を吸ってぼうっとしているタンジェリンに声をかけた。
向かい側に座り、購入したハンドクリームを見せて笑って見せると、不思議そうな顔をしながらも左手が差し出される。クリームを手の平にだし、両手に広げ、差し出された左手を包む。塗り拡げながらハンドマッサージの真似事で手を揉んでやる。指一本一本も丁寧に。部屋にクリームの香りが広がる。柑橘系だか少し甘めの香りだ。
俺の両手に大人しく収まっているタンジェリンの手は、俺より少し小さいが、それでも男の手だ。しかも普段から色んなモノを殴り飛ばして無茶を押し通す拳は所々怪我の痕でへこみや膨らみがある。節々はごつく、乾燥気味な皮膚は温かいがどこか触れていても隙間を感じる。何度この手に助けられ、この手を掴んで助けたか。
次は右手と促せば、大人しく右手が差し出される。差し出された手に先ほどまでと同じようにクリームを塗りこんでいる俺を、タンジェリンは声をかけた時と同じく不思議そうな顔で見ている。大事な手を、俺だから警戒することもなく預けてくれている事に嬉しさがこみ上げて、思わず笑ってしまう。
この手が自分に触れる場面を思い出す。殴り合うこともあれば引っ叩かれることもあるが、時に傷つけない様にとでも言うように優しく触れてくるこの手が愛おしくて堪らない。その思いのまま預けられている手の甲にキスを落とすと、タンジェリンは顔を真っ赤にして慌てて声を荒げている。普段することがないとはいえ慌てすぎだろう。
自分にもやらせろというタンジェリンの申し出を受け入れ、今度は俺の手を差し出す。冗談交じりに力加減を間違えて指を折ってくれるなと揶揄うと、ぎこちない手つきで俺の手を取り、クリームを塗り広げられ、手をやわやわと揉まれる。クソ真面目な顔で俺の手を揉むタンジェリンが、まだ先程の名残でほのかに赤い頬のまま不安そうに大丈夫かと上目遣いで聞いてきた。その顔は反則だ。ねだられる時の顔と重なってしまい頭を抱える。それに加え、お返しとばかりに指にキスをしてきたものだから、思わず体を乗り出し唇を重ねてしまった。
完全に負けた。別に勝敗を競っている訳でもないのだが、嬉しそうに笑う兄弟にまた愛おしさがこみ上げてきて、照れ隠しと少しの悔しさからその体を肩に担ぎ上げた。
煽られた以上、可愛がらずにはいられないだろ?
END