「お……、……この、……いの」
「ん?」

何か話しかけられたような気がして後ろを振り返る。振り返れども広がるのはいつもの帰り道。いつもの風景。頬を首もとをすり抜けていく風がひんやりとして、肩をすくめた。明日からはマフラーを着けよう。

「気のせいだよな」
「気のせいじゃない。こっちだ、若いの」
「うわっ!?」

前に向き直ると、誰もいないはずの空間から声がして一歩下がる。

「ワシだよ。顔くらい見たことあるだろう?」
「あなたは確か……千鳥…さん?」

目を凝らすと自分の目の前にギョロっとした反転目の小柄な人がうっすら見える。焼死課に時々来ている他の課のヒト?という事と名前だけしか知らない。人であるのかも怪しく、声や見た目から女性らしく見えるが本当に性別があるのかもわからない。
……にしても“うすい”。
街灯に照らされているのに道路に影すらない。『千鳥 霞』の名のとおり、霞の様だ。

「ああ、これかい?」

便宜上彼女と呼ぶが、彼女は自分の身体に目配せして、にやっと大きな口の端を吊り上げギザギザの歯を見せて笑った。これまでも何度か見たが、ギョロっとした目や歯も相まって爬虫類の様だ。

「いや、ちょっとね。あんの野郎8割がた持ってきやがったんだ……ってそんなワシの事はいいんだよ。アンタ、帰り道に悪いんだけど、ちょっと頼まれとくれ!」

困ったようにはにかんだあと、ばっと焦った風な彼女が羽織っている白衣の下に手を入れると、そこから大事そうに握った手を僕に差し出してきた。四本指の手がなにかをふんわりと包んでいる。

「な、なんですか?用件を──!!」

僕が分からず、それでも彼女の握られた手の下に両手を差し出すと温かいものがひとつ、掌に乗るのが分かった。

「なっ、これは魂じゃないですか!なんで僕にっ!」
それはとても小さく人の形をしていないが魂であることはわかる。ほんのりと温かいが、なんの魂かはわからない……
「水子さ」

混乱している僕に、微かに微笑みながら彼女は言い放った。

「ぼ、僕の担当じゃないですよ!たしか千鳥さんの扱いでもないでしょう?」

他の課の魂を扱うと、あとあと書類やらなんやら面倒だから相当なことがない限り全力で避けろ、ということだけ先輩に教えてもらっていた僕は焦った。なんで彼女はそんなものを──

「喰われかけてりゃなんだろうと放っておけないよ。それでこのザマさ。」
「戦ったんですか?!」
「戦っちゃいないよ。ワシにゃまともにやり合う術がないからね。不意打ちで一発横っ面に食らわせて掠め取ったんだけどね、代わりにごっそり持ってかれたのさ。まあ、落とさず連れてくるのはほんと難儀したよ。なにせ密度が足りなくて、いつ落としちまうかとひやひやしたねぇ」
「持ってかれたって……千鳥さんの身体の事ですか!?」
「今更気づいたのかい。」

彼女が無くした割合を“8割”と言っていたことを思いだし、僕は唾を飲み込んだ。

「……事情はわかりました。ただ、やはり、この魂はしかるべき課の死神に渡してください」
「それは出来ない」
「なんでですか!?」
「もう持ちこたえられないの…さ…」
「えっ、千鳥さん!!」

目の前の彼女が、そもそも薄いのにどんどん見えなくなっていく。思わず魂を包んでいないほうの手を伸ばすと、もふっと何かをつかんだ。

「びっくりするねぇ。消し飛ぶかとおもったよ」

ふわふわとひんやりと、でもどこかあたたかいそれは、僕の掌より少し大きいくらいの白い綿のような雲のような塊で、でもそこにある目や発せられる声は千鳥さんのもので……

「ああ、アンタさんこの姿見るの初めてだったかい。色々足りなくて縮んじゃいるが、これが本来の姿さね。」
そう言うと人型のときと同じギョロっとした目がウインクする。

「こんなんだからね、その子らを届けられそうにないのさ。あと休みたいし。」

欠伸のような仕草をすると、千鳥さんはふわふわ動き出した。

「で、でも僕もそんな襲われたら守れません!それに別の課の管轄の魂なんて……!!」
「よく知りもしないアンタに押し付けるのはほんと悪いと思ってんだ。すまないね、若いの。でもワシもそろそろ限界なんだ。アンタが無理なら、アンタんとこのボンゾさんにお願いしておくれ。あの人なら何とかしてくれる。」

そう言うと、千鳥さんはふわふわとどこかへ消えるように行ってしまった。僕は鞄から端末を取りだし、……でも先輩であるボンゾさんの連絡先を知らないから、仕方なく別の先輩にボンゾさんを呼んで貰えるようにお願いした。

*****

びちゃびちゃ

そこは山奥の池で、すぐ脇から湧き水が流れ込んでおりとても澄んでいた。日は天頂を過ぎた頃で、木々に囲まれた水辺が明るく照らされている。
その池の縁に人影がふたつ。ひとりは池から上半身だけだし地に伏しており、もうひとりはその側で屈んで、手に持った桶から柄杓で伏せている者の頭にに水をかけ続けている。

「ぅ……ん…………おや……?」

伏せていた人影がもぞもぞと動くと、ぎょろっとした反転目がぱちっと開き、目の前で自分の頭に柄杓で水をかけ続ける相手を認めた。

「ああ、ボンゾさんかい。ふあ~ぁ、よく寝たねぇ~。おや、今日は調子が良さそうじゃないか」
「……無事届けた」

バシャッと池から霞が出てくると、ボンゾの隣に座る。濡れていた身体はみるみる乾いていく。

「嗚呼あの子の事だね、よかった。あの若いのにも悪いことをしたよ。」
「直接言うといい。死んだのではないかとずっと心配していた。」
「死ぬもなにも無いんだけどねぇ…ワシは…。ところで、あれからどれ位たった?」
「三月だ。」
「あちゃ、やっぱり……結構寝てたね。まだ戻りきってないが──流石にサボりすぎか。」

頭をかくと、霞は立ち上がって着ていた白衣を脱ぐとそれを広げた。ふわっと白衣が雲状になり、一畳程の大きさになる。

「ボンゾさん、帰ろうか。」

髪や身体の端々を雲のようにそよがせながら、前方に霞が座ると、ボンゾが後方に静かに座った。落ちないように、もふりと厚みが増した雲がボンゾの腰辺りまで包む。

「手間かけたね。」
「そうでもない」
「ありがとさん。アンタの水はきれいだからね。あれだけもってかれてて三月でここまで戻れるとは思ってなかったよ。ボンゾさんのお陰だ。最近はなかなか流れが悪くてねぇ…休む場所が──」

霞の一人言を聞きながら、おとなしくボンゾは揺られていく。
日は西に傾きだし、強い日差しを浴びながら、今からならまだ終業前に間に合うだろうと霞は後ろを気にしながら、少しだけ速度をあげた。


ゲスト出演
はちすさん(@hati_su8)宅の焼死課所属のボンゾさんとその後輩君

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